愛するということの奥ゆかしさ

奈落につき落とされた、最悪の気分で帰宅をすると、リビングに明かりがついておりました。
そっと覗いてみると、夫が背を向けて座っております。
その夫の背中を見ているうちに、涙が溢れてまいりました。
大きな背中ですのに、
とても疲れていてさびしそうでした。

私はその時、初めて気づきました。
新婚時代に、下手な料理を出してもおいしそうに食べ、たわいのないおしゃべりに目を細めながらうなずいていた夫のことを。
夫は寛大な心で、私を見つめ続けていてくれたのです。

まるで下手なメロドラマのようで、お笑いになるでしょうけれど、私はそれまで一度も夫の気持ちなど考えたことがありませんでした。
いつも、愛されていないということばかり考えていた私です。
愛されもしないのに、どうして夫に愛情を持てるだろうか、とどこか開き直っていたかもしれない。
まるで欲しいものが手に入らないと、駄々をこねている子供のようでした。

Eさんとの恋は、今考えてみると麻疹のようなものだったのかも知れません。

けれど、その麻疹のおかげで、私は本当の夫の心を理解することができました。
これは余談ですが、その後夫が申しますには、婚約が決まって初めて会ったときから「結婚するのは、この人」と決めていたとのこと。
私が、不倫の恋をしていたことを、夫が知っていたかどうかはわかりませんが、ずいぶんと悩んでいたとも聞かされました。
今はすべて笑って、聞き流しておりますが、夫に対する愛情が、結婚八年目にして本物に変わりつつあります。

そして、Eさんのおっしゃっていた「互いの家庭を大切に」という言葉を、今しっかりと噛みしめております。


愛するということ

親の権力争いの犠牲になって、愛してもいない人のもとへ嫁ぐ。
政略結婚は、秀吉の戦国時代から、政党の派閥争いが繰り広げられている現在も続いています。
愛していない人との結婚。
これはまた、伝統ある家柄の、いわゆる「家と家の結婚」の場合にも多く見られるケースです。
でも、いずれにしても、愛していない人との結婚すべてが悲劇とは言えないと思います。
一緒になったその時点では、たしかに愛情はなかったかもしれないけれど、

お互いの努力によって愛を育はぐくみ、しらずしらずのうちに”ともに白髪がはえるまで“仲のいい夫婦になる人たちも少なくないのです。
努力して愛を育むと言うと、ちょっと語弊があるかもしれませんね。
愛はねじりハチマキで頑張って築けるものではないのですから。


参考記事: